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2018.08.08 Wednesday

「アンダーグランド」と「約束された場所で」

7月に執行された松本元死刑囚を始めとするオウム教団幹部の死刑。
やはり大きな衝撃でした。辿っていけば死刑制度に対する疑問にも繋がっていくようにも思えます。
しかしそれとはちょっと違う何か宙ぶらりんのような気持ちを感じてしまったのも事実です。
「何か釈然としない」だったり「何かにひっかってしまう」。そんな気持ちでこの2冊を読み返しました。

この2冊を読むのは3度目だと思います。
今回一番違ったのは「約束された場所で」の元オウム信者のインタビューに嫌悪感を持たなかった事です。
以前は生理的に近い嫌悪感がありましたが、今回は
「言っている事(気持ち)は分かるなぁ」
という感じでした。

それは自分の中での「宗教」に対する気持ちの変化なのだと思いました。
両親は生まれた年代にしては合理的な感覚を強く持った人で、無宗教というスタンスを強く持っていた人でした。
敢えて推測で付け加えるなら宗教心はあったのだと思いますが、宗教団体というものが好きでなかったのだと思えます。
当然その影響を受けて育ったのだと思います。
両親は日ごろから「葬式は無宗教で」と言っていたのでどちらの時もそのようにしました。
考えてみれば「宗教」というのは殆ど「お葬式」とイコールだったようにも思えます。
日常生活には何ら関係のないものだった訳です。

自分が年齢を重ねる毎に感じるようになってきたのは、「死」だったり「寿命」だったりします。
違う言葉で言えば「自分ではどうにもならないこと」です。そして誰もが色々な「どうにもならないもの」を抱えて生きています。
東北大震災の大津波の直後、瓦礫の前で読経している僧侶の写真を見て、この場所で心を癒してくれるものは宗教しか無いのだろうと思いました。
現代医学では解明できない病気を抱え、痛みや苦しみの中で生きている人にとっては、宗教が生きていく上で必要なのかもしれません。
確かにテクノロジーの進歩と共に「どうにもならないこと」は減ってきたように見えますが、やはり私たちの廻りには「どうにもならないこと」が多々あり、心の奥底にはそれに対する不安や恐怖があるだと思います。

そして一番の問題は「どうにもならない自分の心」への憤りなのかもしれません。

誤解を恐れず言えば、オウム真理教松本元死刑囚という人物はその不安や恐怖、そして「どうにもならない自分の心」の受け皿になったのだと思います。
そしてそこに走ってしまった人の気持ちも以前より理解出来ます。そしてそのプロセスを全否定してしまうとこの事件は風化の一途を辿るのだと思います。
勿論起こした事件の大きさ罪の重さは計り知れないものですが、何故その受け皿だった集団が殺人集団へ変貌してしまったかは解明されなかったのではないでしょうか?冒頭に書いた「釈然としないこと」でもあります。
スターリンがヒットラーの死後に「奴もまるっきしのペテン師ではなかった。でなければあれだけの求心力を持つはずなない」というような事を言ったとされてます。
何か似ているように思います。

自分が宗教に向かうか?と問いかければ「そんなことはないだろうなぁ」と思います。
親譲りの組織嫌いですし、宗教に求める問いかけを音楽の中でやっていると思います。
自分が詞を書き自分で歌いたいと思ったのは、「どうにもならないこと」への不安や恐怖を浄化する作業ではないかと思います。

司法という場での決着はついたのかもしれませんが、今の世の中が23年前よりも「優しく寛容な受け皿を持ったか?」と言えばそうは思えません。
だとすればやはりこの事件にひっかかり続けていかないといけないように思えます。


19:29 | 日記 | comments(0) | - | - | - |

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