私的なブログ

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2017.08.30 Wednesday

8月中に書きたかったこと

作業場の上空は米軍厚木基地の航路になっているらしく、時折ジェット機が轟音を伴って飛んでいきます。
昨日早朝の北朝鮮のミサイルの発射があったせいか、昨日今日と数が多い気がします。
あるいは、そういう事があったから飛行機の音に敏感になっているだけなのかもしれません。
フト思ってしまうのですが、太平洋戦争に突入する頃の日本の立場は今の北朝鮮に近いものだったのかもしれません。

このブログになる以前の「私的なコラム」の時代から、8月になると戦争についての自分の考えを良く書いてきました。
ここ数年そういったテーマで書く事が少なくなってきたと思っていました。
勿論実際の戦争体験者ではないわけですが、それでも何か自分の中での「風化」が始まっているようにも感じていました。
今年のお盆は安曇野に行ってたのですが、その間録画しておいた太平洋戦争に関する多くのドキュメンタリーをほぼ見終わりました。
特に印象に残ったのは、日本陸軍が行った「インパール作戦」を特集したものでした。
作戦立案の時点から不可能と言われていた作戦が、実施されてしまった理由が陸軍上層部の派閥や人間関係の力学であったり、面子だったのには心底驚き怒りすら感じました。
それによって現場の兵士3万人が死んでいったわけですから。
この作戦を遂行した司令官や参謀の殆どは死ぬ事なく終戦を迎えました。
対峙したイギリス軍の取調べを受けた際に、
「この作戦失敗の責任は誰にあるのか?」
という質問を受けたのですが、全員が弁解と責任の擦り付け合いをしたと記録されています。
作戦総司令官は晩年になっても、インパール作戦は間違っていなかったというような記録を残したそうです。

戦争は恐ろしいものです。でも戦争よりも恐ろしいのは人そのものなのではないかと思いました。
付け加えれば、人が作る「組織」というものです。
「組織」は暴走を始めると、個人の「感性」を無くすことを強要したり責任を曖昧にするのです。
個として到底あり得ないような判断も、組織の空気の中では正当化されてしまう、そういう過ちは今日でも繰り返されていないでしょうか?
「組織」の最大のものは「国家」という事になるのでしょう。
人は群れに属しているという安心感も必要とします、でも時には「個」に帰って考える必要もあるのです。
北朝鮮ではそんなことは許されないのでしょう。
でも日本でもそういう姿勢を保ち続けることが、難しくなってきてるような気がしています。
そう感じませんか?

 


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